二十歳の頃に知った「青春とは無名である」という言葉を、三十代の今も胸の奥に刻んでいます。
これは立花隆・著『青春漂流』(講談社文庫)の巻末に書かれていた言葉です。残念ながら「青春漂流」の文庫本そのものは不覚にもブックオフにて売却してしまったか、あるいは実家に置いたままなのかわかりませんが見当たらず、書店でも見つかりません。そのため、この言葉が誰の言葉だったのか、どういった文脈で語られたのか詳しい確認が出来ません。
さて、若い僕は「青春とは無名である」という言葉の何にそんなに感銘を受けたのか。
■「無名である」状態は多くの人に当てはまる
そもそもここでいう「無名」とは肩書きを持たない状態の人、まだ自分が何者かわからない状態の人の事を指します。その中には、正社員であり会社世界での「肩書き」を持つ人、現時点で何らかの職業技能を持っている人も含まれます。
つまり、昨今よく言われる「モラトリアム」や「自分探し」的な意味で「フリーター」なり「ニート」の状態にある若者の事だけを指すわけではないという事です。
極端な例を挙げてみましょう。
僕の住む町の近所、東京・西荻窪には安藤久蔵さんという102歳の元気なお爺さんがいます(お爺さんというのが申し訳ないくらいに若々しい)。最近では西荻で講演会を開いたりNHKラジオ等メディアに登場したり、ちょっとした西荻の有名人で、「西荻のフォレスト・ガンプ」などといわれています。
この安藤さん。なかなか激動の人生を送っているのですが、スゴいのが85歳で珈琲専門店「アロマフレッシュ」を始めた事。慶応の山岳部出身で50歳から再び登山を再開、現在でも世界の山々を登る安藤さんは、キリマンジャロで現地のポーターであるマサイ族と仲良くなります。
彼らに「自分たちのコーヒーを売ってくれないか」と持ちかけられると、中間業者に搾取されないためのアドバイスをするとともに、自らもコーヒー豆の輸入卸・小売業を始めました。安藤さんは102歳の現在でも、自転車で珈琲豆を配達する現役の珈琲豆屋さんとして元気に働いています。
■青春をもう少し味わってもいいんじゃない?
何歳になってもまだ見ぬ自分の姿を想像し、新しい一歩を踏み出す人生の大先輩、安藤さん。
「青春とは無名である」の言葉には安藤さんのように、自分のあるべき姿を追い求めている道中の人は全て「青春」のまっただ中である、という意味が込められているように思います。
うーん。青春延命装置のようで素敵な言葉じゃないですか。あまり自らを肩書きで規定せずに、自分は「青春野郎」でありまだまだ若輩者だという気持ちを持っていれば、新しい世界への一歩も踏み出しやすいでしょう。
ちなみに僕は、一般的に日本で言われている「青春」の期間は短すぎるような気がしています。
甲子園で最後のバッターがヘッドスライディングをした瞬間に青春は終わりなんて、ずいぶんと分別がありすぎます(笑)。二十歳そこそこの女子が「うちら青春終わったよね」なんて言っていると何だかなあとも思ってしまいます。それ、青春じゃなくて思春期じゃないの?
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