8月 292013
 

1905年に撮影されたニューヨークの地下鉄の動画がカッコいいのでご紹介します。ニューヨークで最初の地下鉄は1904年に開業(都市高速交通会社 = Interborough Rapid Transit Company、IRT)しているので、この動画は開業直後ですね。

撮影は車両の後ろから追いかける形で撮影されています。トロッコか何かを使っているのでしょうか。柱だらけのトンネルを走り、時折駅に到着します。動画の最後、終着らしき駅に到着すると多くの乗客が乗り降りをする姿が見られます。タキシード、ドレスで正装している人が多く、地下鉄利用者の多くがハイソサエティな層であったことが伺えます。

世界初の地下鉄はロンドン

世界初の地下鉄は1863年・ロンドンの「メトロポリタン鉄道」。パディントン駅〜ファリンドン駅間の約6kmで、当初は蒸気機関車を使用していました。当時のロンドンはもちろん先端の都市だったということもありますが、街路が狭く、地上に鉄道を造りづらかったことが地下鉄開通を後押ししたようです。

ちなみに1863年の日本は「文久三年」。薩英戦争が起こり、新撰組が結成された年で、まさに「幕末」のまっただ中でした。

1927年、アジア初の地下鉄はやはり日本

その後イスタンブールなどで19世紀中に地下鉄が開業、意外にもドイツのベルリンでの開業は1902年(地下水が豊富で建設が困難とされていた)。

日本での開業は1927年の初代「東京地下鉄道」で、現在の銀座線浅草〜上野の区間。これがアジアで初の地下鉄開業でした。中国が1969年(北京)、北朝鮮が1973年(平壌)、韓国が1974年(ソウル)、インドが1984年(コルカタ)開業だったことを考えると、アジア地域では日本が突出して早いですね。

南米、アフリカでは?

補足で他大陸も。南米大陸では1913年にアルゼンチン・ブエノスアイレスで、アフリカ大陸では1987年のエジプト・カイロで地下鉄が開業しています。植民地下にあったアフリカでは、かなり導入が遅れたようです。

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5月 132013
 

先日ご紹介した都築響一氏の写真集『TOKYO STYLE』。1990年前後の若者の部屋を撮り溜めた素晴らしい写真集です。(参考記事:『TOKYO STYLE』都築響一はバブル崩壊の先を見ていた リアルな1人暮らし・ルームシェア部屋写真集

先日改めてこの写真集を手に取り、今は存在しないであろう部屋の数々を眺めていた所、技術革新やライフスタイルの変化により、今は使われなくなったモノがたくさんあることに気がつきました。
黒電話
↑ デザインの可愛らしさから「レトログッズ」としても人気がある黒電話。けたたましいベル音。

それら今の生活から消えてしまったモノ、あるいは消えゆく運命を辿っているモノをピックアップしてみました。多くはパソコン、メディア、通信関連のモノで、この20年間のライフスタイルの変化を改めて感じさせられます。

これらのモノ、「現在でも部屋にあるよ!」という方も多いと思いますが、「引っ越しで家財一式を新たに揃える時に、今さら買わないかな」というのを基準に集めてみました。

◎ラジカセ、CDラジカセ

まだまだ当時は「ラジオ」と「カセットテープ」はミュージックライフの必需品。ラジオの音源を「エアチェック」(番組を録音)するのも当たり前でした。量産されるカセットテープは棚に山積みに。CDは現在もまだまだ流通していますが、買う人は減りました。

◎大型ステレオコンポ

アンプ、カセットデッキ、CDプレーヤー、ラジオチューナー、スピーカーがワンセットになった黒くて大きい重厚なコンポ。当時は憧れでしたね。僕は高校受験の合格祝いに買ってもらったコンポを未だに使っています。20年間、故障知らず。

◎ビデオデッキ

まだテレビは国民的娯楽であり、学校では番組を録画した「ビデオテープ」を貸し借りする光景がよく見られました。そして、たまにクラスで回ってくるエッチなビデオにもドキドキしたものです。ビデオテープもカセットテープ同様かさばるので、床や本棚に山積みに。

◎電話機・子機

一部ジーコジーコ回す黒電話を使っている家もありましたが、大方ピポパ、の電話でしたね。ご存知の通り携帯電話の爆発的普及により、固定電話は減少。特に若者の一人暮らしで現在、固定電話がある家は少ないでしょう。街を歩いていて、電話のベルの音が家から漏れ聞こえることが少なくなりました。

◎Macintosh(クリーム色)

クリーム色のかわいい箱。デザインや絵をかじっている友人の家には大概ありました。PC関連のデバイスは20年でデスクトップタイプの他にノート、タブレット、スマホと、すっかり多様化。データのやりとりはフロッピーディスクでしたが、後にMOへ。

◎ワープロ

windowsの普及前は当たり前のようにワープロで文書を作成していました。今使えと言われても操作法は忘れてそう。思えば僕が子どもの頃(30年前)は、母がタイプライターでガチャガチャと仕事をしていました。ワープロだって新技術でした。

◎FAX、FAX付き電話

決して絶滅したわけではありませんが、大方の事はメールでやりとり出来るようになっています。当時は若者でもフリー、個人事業主はFAXがないと仕事になりませんでした。

◎アナログテレビ・テレビデオ

図体のデカいアナログのテレビはデジタル化により風前の灯火。一応チューナーを取り付ければまだ使えますけどね。当時のテレビは本体にチャンネルボタンがついていたり、ガチャガチャハンドルが付いていたり、リモコン依存度は今より低め。また、テレビ・ビデオ一体型の「テレビデオ」なんてのもありました。特に機械に弱い女の子には接続が楽なので、テレビデオは人気でした。

◎スーパーファミコン

ファミコン時代を経て、スーパーファミコンへ。任天堂の時代。ゲームは家でテレビに向かってやるのが当たり前、友人が集まっての徹夜の「桃鉄」大会開催など、家庭用ゲーム機の全盛時代でした。現在は家庭用ゲーム機のほか、ネットのオンラインゲーム、スマホ、携帯型ゲーム機など、場所にこだわらず多様なゲームが楽しめます。

◎目覚まし時計

これはまだまだ現役で使う方も多いでしょう。ただ、僕の安普請のアパートでは携帯電話のバイブ音で目覚める人々が多いようです(結構響く)。日時や曜日をデジタルで細かく設定できるので、携帯電話を目覚まし用に使用する人は増えています。以前のように、消し忘れた目覚まし時計が夕方の六時頃にピピピピ!!!!と鳴りっぱなしになってしまう光景も減りました。

◎その他

その他に見られたのは「サンタフェ(宮沢りえ写真集)」「ウォークマン・ディスクマン」「オープンリール」など。「JAVA TEA」「サイコロクッション」などはまだ売られているようですが、懐かしさを感じさせます。

■消えずに残っているモノ

キッチン用品、食器、炊飯器、掃除機、洗濯機などはデザインは変われど本質的に使われ方は変わっていません。ギターや電子ピアノなど楽器類もそれほど変化しませんね。この辺は既に機能として完成されているということでしょうか。

それと、昭和のニオイのする「扇風機」「電熱ストーブ」「レコード」などはアナログの良さが逆に評価されているのか、まだまだ生き残っています。同じくそのアナログ性が評価されている「紙の本」は、今後どうなっていくでしょうか。

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3月 202013
 


↑怖い画像でごめんなさい。名作「ポートピア連続殺人事件」PC6001版

原初のゲーム体験
さて、父が買ってきてくれたPC6001mk2のゲーム群。僕は大層熱中した。三人兄弟で真ん中の僕だけがパソコンに興味津々だったので、一番オタク気質があったのだろう。

ピー、ガッガッガーーと、ものスゴい音でカセットテープをロードするだけで、自宅でゲームが楽しめる。ファミコン前夜のアナログな時代において、これはもう、感動的な出来事だった。

当時、野球が大好きだった僕がまずハマったゲームが、「BASEBALL GAME」。
もちろんコントローラーなどはなく、一球ごとに球種を予想してコマンドを入力する。これが大層楽しくて、親から怒られながら一日中プレイしていた。何といっても「アーウト」「ストライーク」と審判が喋るので、その臨場感(当時にしては)にやられていた。今から考えれば単純なゲームだったけど。

名作「ポートピア連続殺人事件」

そして「ポートピア連続殺人事件」。今となっては伝説的なゲームであり、後のドラクエへとつながるエニックス・堀井雄二のゴールデンコンビの作品。

ポートピア連続殺人事件
↑ ポートピア連続殺人事件。まさかこいつが犯人とは(ネタバレ)

ポートピア連続殺人事件
↑ 当時、総天然色のような気がしていたが、今見ると寂しい色。

場面が変わるたびに数分にわたりノロノロと線を描き色を塗るという、非常に鈍臭いゲームであったが、相棒の「ヤス」(こいつが真犯人という衝撃展開)とともにコマンドを入力して捜査を進めていくという、子供ごころに斬新なゲームだった。埠頭にて「イマナンジデスカ」「ウミネコ」の合い言葉を宇宙人風PC6001言葉でやり取りする場面は犯罪の香りがプンプンして、幼心にドキドキしたものだ。未だに「ウミネコ」という言葉を聞くと犯罪のニオイがしてドキドキしてしまう自分がいる。

いまなんじですか?うみねこ
↑ いまなんじですか?うみねこ。(宇宙人風の声で)
合い言葉の後、怪しい包みを受け取ります。犯罪のニオイ!!

ファミコンの登場で、忘れ去られる6001
やがて数年で任天堂の「ファミコン」ことファミリーコンピューターが登場することになる。この頃になると、僕のPC6001熱も冷めてきて、「バンゲリングベイ」で2コンのマイクに「フーフー」息を吹きかける、凡庸な少年になっていた。

ファミコンが子供世界を席巻する前夜、初恋のように出会ったPC6001mk2。僕にとっては初めてのデジタルとの出会いであり、唯一父と愉しみを共有できた思い出のデジタル機器でもあった(父はファミコン等ゲーム機には一切興味を示さず。現在も僕はMac、父はWindowsなので相容れない)。

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