6月 122013
 

この本は強烈な上昇志向を持っている人、他人を押しのけてでも自己主張が出来る人、いわゆる「バトルタイプ」向けの本ではありません。それとは対極の、気弱で優しい「非バトルタイプ」に向けて書かれた本です。

■専業の美徳が説かれてきた日本 

著者の伊藤氏が提案するのは大きく二つの考え方。ひとつは職業を「専業」とせず、「兼業」をしながら生きてみるという考え方。もうひとつは生活にお金をかけない事。自分で出来る事はなるべく既存のサービスを頼らずに、自分でやってみようという考え方。これはゆくゆくは仕事づくりにも繋がっていきます。

これまで日本社会では「専業」の美徳が説かれてきました。ひとつの仕事に邁進し、知識や技能を極限まで高めれば、将来的にはやがて尊敬が集まり、経済的恩恵も受けられる。そのためには多少の犠牲は覚悟の上。やがてグローバル化が進み、資本主義が極限まで成熟した現在、そんじょそこらの技術や知識では生きていけない、他人をなぎ倒す強さがないとやっていけない、「生きるだけでもキツい」先鋭化した世界がやってきました。でも、ちょっと待ってよ、仕事って本来、ともに生きていく周囲の人を手助けする事で成立していたものではなかった?

実は戦後の日本社会では、職種を大幅に絞り仕事の多様性を捨てることで、高度経済成長を成し遂げてきました。大正9年の国勢調査で国民から申告された職業は約3万5000種、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、今は2167職種。何と10分の1以下。それぞれ儲かるかどうかは別にして、大正時代は現在よりもより細かく、個人の特性に合った職業が存在していたとも考えられます。多くの人は、それらの仕事を複数組み合わせる事で生計をたてていました。

■伊藤氏のナリワイ

本文では伊藤氏の現在の具体的な生計の立て方、「ナリワイ」について解説されています。観光地巡りではない「モンゴルツアーの企画」、「木造校舎ウェディング」、6月だけの「梅農家」、「著述業」、「ブロック塀ハンマー解体協会」、「全国床張り協会」etc…。

こういう具体例が出ると「そんなのでやっていけるわけがない」「それはあなただからできる」という声が必ず出ます。確かに、これをマニュアルとして各人がそのまま真似たところで上手くいかないでしょう。

この本で大切な事は、伊藤氏の具体的な行動の中から、抽象的な生きるヒントをしっかり拾い上げる事です。

伊藤氏の「ナリワイ」の多くは、いわゆる「プロフェッショナル」な力量を必要としません。スキルとしてはちょっとした「お手伝い」レベルで出来てしまうことが多いです。前述した「戦後の日本の価値観」で考えると、こういう素人仕事ではダメだ、となります。「プロフェッショナルの技術がないと、やがて淘汰されてしまう。」「お金をもらうのだから、プロにしか出来ない完璧な仕事をすべき…。」しかし、伊藤氏は自らの仕事を別の視点で眺めています。

■プロの技術を借りずに生きてみると、そこから仕事が生まれる?

 

ナリワイとは、個人で元手が少なく多少の特訓ではじめられて、やればやるほど頭と体が鍛えられて技が身につき、ついでに仲間が増える仕事のことです。
(「ナリワイ本」ホームページより引用)

プロの技や専業にこだわらずに、まずは生活の中で自分が出来る事を自分でやってみる。これはお金の節約になると同時に、自分自身の生きるスキルの鍛錬にもなります。伊藤氏は京大の農学系出身なので「ナリワイ」が農的分野に少々偏っています。しかし都市生活の中でも、今まで企業のサービスに頼っていたものを自分でやってみると、案外あっさり出来てしまう事って多いのです。それで、じゃあこれを友人にもやってあげよう、と少しずつ仕事の可能性が広がるのはよくある話です。その過程で仲間が増え、商売の方法論も少しずつ学んでいくことでしょう。

小さな仕事はグローバル化の波に飲み込まれにくい「ニッチ」なものも多いです。近所のおばちゃんが肩揉みをしてもらいたい(ついでに世間話を聞いてもらいたい)時に、人件費が安いからとインドまで外注する人はいませんよね。苛烈な競争を続ける「世界」を相手にしなくてもいい仕事を発見して、それを少しずつ育てていくのが、伊藤氏の言う「ナリワイ的」な働き方というわけです。

■いきなり100kgのバーベルを持ち上げようとするマッチョな生き方

書店の「夢はかなう」的な自己啓発系書籍のラインナップを見て思うのは、筋トレをしたことがない人にいきなり100kgのバーベルを持ち上げさせようとしているような、そんなマッチョ思考な書籍が多いのでは、ということ。高校時代の部活の筋トレで、まずはバーベルの重りをつけずに「棒だけ」でトレーニングをさせられたことを思い出します。

マッチョな人からすると、棒だけセッセと持ち上げている姿は失笑モノかも知れませんが、実はあの棒、10kg以上あるんですよね。あれを練習の合間などに地道に100回、300回と持ち上げていると「遅筋」が付いていきます。陸上部の長距離チームにいた非力な僕にとっては、ひょいひょいと持ち上げていた「棒」が、基礎体力づくりに大いに役に立ちました。

「ナリワイ本」は現時点で非力な人がどうやって筋肉を付けていき、基礎体力を身につけていくかを説いている本だと思います。そのため、読んだら明日からすぐ秒速3億円!というような即効性があるわけではありません。たとえ1円でもいいから自分で考えて商いをしてみる(この0円と1円との間に大きな壁がある)、そんな身の丈に合った生活をスタートさせたい方には、とても有意義な本だと思います。

終身雇用制度なんてとっくに崩壊していますから、自らの手で仕事を創り出す方法論を肌身を持って知るのは、大切な事だと思います。

自分の手で1円を稼げた事でビジネスの面白さに目覚め、そこから突如マッチョに変身するのも、アリだとは思います笑。

6月 072013
 

岡本太郎と言えば「芸術は爆発だ」のセリフが有名で、変わり者、エキセントリックな人というイメージで見られがちです。しかし、本当の彼は繊細でした。誰よりも悩み、その上で決意して闘い、最後まで己を貫いた、極めてまっすぐで人間味のある人だったのです。

太郎の著作の中でも「自分の中に毒を持て」は、芸術に興味がない方にも十分に読み応えがあり、岡本太郎という魅力的な人物との出会いにはもってこい。読み進むうちに数々の言葉によって、自分が勝手につくりあげていた常識という「殻」がバリバリと剥がされていきます。

■テクニカルな自己啓発ではない、本当の人生哲学

この本では一貫して「己を殺す」「運命を賭ける」ことを説いています。それは太郎自身がパリ留学中の若き日に決意し、生涯実践した生き方です。あの岡本太郎といえども若き日には、目の前に広がる茫漠とした人生に対しどうしていいのかわからず、絶望的な気持ちに陥っていました。

「安全な道をとるか危険な道をとるか、だ。」

彼はひとり佇んでいたパリのカフェで決意します。危険な道へ行くー。この考えが生涯、岡本太郎の行動規範となります。帰国後、戦後日本で彼が残した偉大な功績は、この決意の実践でした。

「誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから、きびしさを避けて楽なほうの生き方をしようとする。ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。たとえ、結果が思うようにいかなくたっていい。結果が悪くても、自分は筋をつらぬいたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。」(本文より)

■本当の冒険は遠い異国ではなく、日常の中にある

太郎は小市民的に自分の生活範囲だけを死守している人に対して苦言を呈しています。この考えに対しては、日々を真面目に生きる人々からは反論があるかも知れません。

そもそも太郎はパリ留学時代に文化人類学、民族学を学んでおり、日本社会以外の人類の多様な生活や価値観、そこに立ち現れる「ほとばしる生」を見ています。それらは「人生がひらかれる」というように表現されていますが、本当に「生きる」とはどういうことか、現代の日本人は本当に「生きて」いるのか。閉塞感のある今の日本にこそ、この疑問が突きつけられているように思います。

太郎は本当に「生きる」ために己を殺す事、そして迷いを振り切り、自身の運命に賭ける事を説きます。この思考回路は、ただ虚しく日々を生きる人に響くのではないでしょうか。

(「道で仏に遭えば、仏を殺せ」という臨済禅師の言葉に対し)「出逢うのは自分自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ。(中略)自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない。」(本文より)

「冒険は賭けである。ならば一生を通しての闘いであるべきだ。(中略・一時の気休めの「旅」や「冒険」に対して)そんな些細なバランスの上でいい気になっているお遊びより、生涯を通じて、瞬間瞬間の「危険に賭ける」のが真の人間のあり方だと思うのだ。」(本文より)

「好奇心というのは、そのように生命を賭けて挑む行為に裏打ちされなければ、生きる感動としてひらかないのではないか。」(本文より)

■岡本太郎から、苦難の時代を生きる日本の若者へのメッセージ

残念ながら、もうこの世に岡本太郎はいません。しかし、彼の子孫とも言える作品や言葉はたくさん世に残っています。彼にとっての芸術とは、彼の思いや情熱が他人を突き動かし、世界がよりまばゆく輝くためのものだったのかもしれません。

本当であれば、身近に太郎のような魅力的な人生の先輩がいてくれればいいのですが、残念ながら現在の日本では、若者を押さえつけてしまうような諸先輩が多く見られるのが実情です。太郎は未熟であることや、どこにも属していない「まだ何者でもない」若者のことを、「ふくれあがる可能性がある」存在として肯定していました。


「自分自身の生きるスジはだれにも渡してはならないんだ。この気持ちを貫くべきだと思う。どこにも属していないで、自由に自分の道を選択できる若者だからこそ決意すべきなんだ。新しく出発するチャンスなのだから。」(本文より)
 

「挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者ではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などない。(中略)人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。」(本文より)

「あいつは天才だから、芸術家だから」といった言われ方に、それはやらない口実でしかない、才能なんかクソクラエと太郎は反発します。今のままの自分ではいけない、でも身動きが取れない。そんな人生の袋小路に入り込んでいる「真面目な」人こそ、力強い生き方を貫いた太郎の言葉に触れてみてはいかがでしょうか。

岡本太郎に興味が出てきたら、著書「今日の芸術」「日本の伝統」あたりを読んでみるとよいでしょう。時代背景は少し古いのですが、芸術や文化人類学の視点を用いて平易に論じつつ、常識がガラガラと崩れるような、世界の見え方が変わるような衝撃を与えてくれます。「芸術は爆発だ!」のあのイメージとは違い、きちんと話の筋道が立っているので読みやすいと思います。

それと、東京・南青山にある「岡本太郎記念館」。かつての太郎のアトリエ兼住居を美術館として公開しています。当時の熱量がそのまま残る空間は必見で、自分の中から何かがわき上がってくるかも知れません。

▼岡本太郎記念館ホームページ
http://www.taro-okamoto.or.jp/guide.html

 

5月 282013
 
「失敗を恐れない」という姿勢だけでは弱い。
「必ず成功させるのだ」という強い意志を持て。
ージャック・ニクラウス

たまには言葉のご紹介でも。先日友人と話している時に、ふと教えてもらった名言をご紹介します。
友人はこの言葉に大変感銘を受けたそうですが、僕もこの言葉を聞いた瞬間に文字通り、目から鱗が落ちました。

ジャック・ニクラウスは、1960年代から90年代にかけて活躍したアメリカの名プロゴルファーです。以前は日本のテレビでもよく名前が出ていましたね。「ゴールデン・ベア」(帝王)と呼ばれ、ゴルフをメジャースポーツに押し上げた偉大な人物です。
golf

■「失敗を恐れない」は人類共通の鉄則

人生を前向きに生きた人、チャレンジ精神を持って切り拓いていった人たちは、口を揃えて「失敗を恐れるな」と言います。これは人類が長い歴史で培った「集合知」のようなもので、エジソンにしてもライト兄弟にしても、とにかく失敗を恐れずにいろいろと試してみる事で、人類は新しい世界を拓いてきました。

しかしニクラウスは、「失敗を恐れない」だけでは足りないといいます。
「必ず成功させるのだ」という強い意志を持て、と。

■視点が変わり目から鱗

この視点の変換が僕には「目から鱗」でした。【「必ず成功させるのだ」という強い意志】を持つ事で、そこには「戦略」が生まれ、それをトライ&エラーで試し続けるという明確な道筋がフォーカスされます。

「失敗を恐れない」軽やかな身体を持ちつつ、必ず目的地点にたどり着くという強い意志を持つ。強い意志を持つからこそ、余計なものが削ぎ落とされた戦略と思考が浮かび上がるように思います。

■ニクラウスのその他の名言もついでにご紹介。
・私には何年も負け続けていた時期がある。しかし試練の日々を過ぎてみれば、あのスランプの時期、負けが込んでいた時期の忍耐が堅固な城壁を作り上げ、攻めにも守りにも強い私の精神力を育てたのだと思う。

・夢はモティベーションを駆り立ててくれるけど、夢を実現させるには具体的な要因、知識と努力が必要になる。

・自分自身をコントロールすること。それは激情を抑えることではない。
激情を自分に起こさせない能力をいうのだ。

・人は心から楽しめるもののみにベストを尽くせると、私は強く信じている。
ちっとも楽しくないことに高い能力を発揮するのは至難の業だ。

・全力で闘おうとしない者に、勝利は微笑まない。

あまり頼りすぎてもいけませんが、人生の側に名言をそっと置いておきたいものです。