8月 092013
 

川越蔵造りの町並み
▲「小江戸」の町並み。実はこれらの建築物は明治時代のもの。

「小江戸」と呼ばれる埼玉県川越市。
蔵造りの町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されており、観光地としても人気があります。

通りに面した一階部分の多くは店舗となっており、観光客向けの土産物店と、昔ながらの地元向けの酒屋、洋品店等が混在しています。その店舗群の中で「かつおぶし・中市本店」は、ビジネスクラスタお馴染みのテレビ東京系番組「ワールド・ビジネス・サテライト」でも紹介された繁盛店。
かつおぶし中市商店@川越
▲中市本店の店構え。店付近には香ばしい醤油の香り。

小さな乾物店のお客さん誘致法

一般的に、川越に遊びに行った人がわざわざ乾物店に入り、お土産にカツオ節を購入するという消費行動はなかなか生まれにくいと思われます。ところが「中市本店」では、乾物を買っていく観光客が結構多いのです。その仕掛けは店頭でご主人が焼いている「焼きおにぎり」にあります。

自家製の出汁醤油の焦げた香りが道に広がり道ゆく人の食欲を刺激する、この「ねこまんま焼きおにぎり」。ただの焼きおにぎりではありません。自慢の鰹節を味わってもらおうと、トッピングとして焼きおにぎりの上に鰹節(またはイワシ節)がどっさりとのせられます。
ねこまんま焼きおにぎり 川越・中市本店
▲どっさり削り節でご飯が見えない「ねこまんま焼きおにぎり」200円。写真はかつお節。いい香りー♥

この焼きおにぎりが絶妙に美味しい。いや、おにぎりもだけど、鰹節がとても美味しい。食べて感動したお客さんは乾物販売をしている店内へと入り、普段はスーパーマーケットで適当に買っているはずの乾物を手に取り、お買い上げ。(もちろん、スーパーでは売っていないこだわりの削り節等が揃います。)

「土産」は思い出のお持ち帰り

考えてみれば土産というのは旅に行けなかった知人や家族に、その土地で感動した気分を「おすそ分け」する行為(あるいは自分で自宅でもう一度味わいたいとかもあるか)だと思います。川越で焼きおにぎりに感動した気分を持ち帰るには、その材料である乾物を買って帰るのが(少なくとも、あるかどうか知らないけれど「川越に行ってきましたチーズケーキ」的なモノよりは)理に適っているわけです。

そんなわけで、乾物屋という商売の「入り口」としての「焼きおにぎり」を、この美味しさで本気で作る、ご主人の商売センスは素晴らしいと思いました。川越の買い食いのイチオシ。

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6月 082013
 

■タモリ倶楽部の良企画 東海道うどん出汁の色の調査

少し前になりますが2000年放送のテレビ朝日系「タモリ倶楽部」で、東海道新幹線の各駅ごとのうどんダシを採集し、ペットボトルに入れてズラーッと並べるという企画をやっていました。

調査は東京からスタート。東京よりも小田原から豊橋あたりまでが最も色が濃く、同じ愛知県内の三河安城で薄くなり始めます。そこから岐阜県内にかけて徐々に薄くなり、関ヶ原を超えた米原で完全に関西風の薄い色の出汁に。深夜のバラエティー番組のお遊び企画とはいえ、とても興味深い調査でした。

汁が黒いうどん・東京
▲関西の人がひっくり返ってしまう東京の「黒いうどん」。
この写真は典型的な東京の立ち食い蕎麦屋で出てくる「きつねうどん」。ネギも白ネギです。
基本的に東京地方では蕎麦の「ついでに」うどんを出す店が多く、蕎麦向きの甘辛い出し汁も兼用に。

■江戸時代から変わらない味の東西対立

江戸末期の生活を知る貴重な記録である「守貞漫稿」(1867年)の中には、京坂の人が江戸の味を「たるし」(甘ったるい)と言って嫌っているという記述が残っています。すでに江戸の頃から現在でも見られる味の東西対立が存在していたわけです。

最近では「秘密のケンミンSHOW」という番組で、地方の食文化の違いを取りあげたりしています。日本列島は狭いようで広い。

ではなぜ、江戸では甘辛い味が定着したのでしょうか。
それは、江戸という都市の成立過程が関係しているようです。

なお、この記事は「江戸グルメ誕生〜時代考証から見る江戸の味」(講談社・山田順子著)を参考にしています。この本を書いた山田さんという方はドラマ「JIN -仁-」など多方面の時代考証を手がける「時代考証家」です。さすがにテレビに関わっている方だけあって、文章は要点をついていてわかりやすく、楽しんで読める江戸グルメ考察本です。おススメ。

◎理由1 急造都市・江戸男だらけのむさ苦しい都市だった

江戸の町が本格的に建設され始めたのは1590年頃。これに合わせ全国から多くの建設作業員が集められました。また、新しい都市に希望を求めてやってきた多くの職人や商人、それに江戸への参勤のためにやってきた武家関係の人々をあわせて、初期の江戸は80万人ほどの人口を抱えていました。そのほとんど、80%は男だった(そんな都市嫌だ!)というのですから、大変むさ苦しい都市でした。

労働者は汗をかくので塩辛い食事を好みますし、武家でも戦国時代の気風が残り、塩辛い食事が好まれていたようです。また、人口の急増により野菜の生産や魚の確保がままならず、味の濃い少量のおかずでご飯を大量にかき込む食生活をしていたようです。こうして江戸では「濃い味」が好まれるようになっていきます。

◎理由2 料理は男の仕事だった

江戸時代までは料理は主に男の仕事でした。日本では古来、料理をつくって食べるという行為は神との饗宴という意味を持っていました。そのため、いわゆる「不浄」であるとされていた女性は神の食べ物を触れなかったのです。(こういう話は、女性の方はあまり気分のいいものではないかも知れませんが。)

もちろん庶民の日常の煮炊きくらいは女性がしていましたが、屋台等の外食文化を含めた江戸の食文化は男性料理人が牽引していたとの事。現代のラーメン二郎やスタ丼よろしく、オトコの花園・江戸のオトコメシはガッツリ、濃い味へと向かいます。

ラーメン二郎
▲東京発祥の塩辛い料理代表「ラーメン二郎」。店内はオトコだらけ。江戸の遺伝子か。

◎理由3 関西の薄い醤油が貴重品だった

江戸の当初は江戸近郊で醤油の生産は行われておらず、醤油はもっぱら大坂方面から仕入れていました。輸送費等コストにより醤油は高級品であり、庶民の食事の味付けは塩と味噌で塩辛く、が基本でした。

やがて四代将軍・家綱の時代に、江戸近郊でも醤油が生産され、江戸にも安定供給されるようになります。この頃には江戸の庶民はすっかり濃い味、塩辛い味に慣れ親しんでおり、それに合わせて関東の醤油も「塩辛いけれどすっきり」した現在の濃口醤油のスタイルへと姿を変えます(京坂の醤油は現在の溜まり醤油のような味だった)。

それと、「甘辛い」の甘いの部分。江戸中期に東南アジア方面から輸入されるようになった砂糖は、やがて価格が安定した事で庶民に定着し、料理になくてはならないものとなります。砂糖と醤油のウマさに江戸市民は目覚めてしまうわけです。

■砂糖の輸入、鰹節の利用

とまあ、どう考えてもコッテリ、ガッツリな味が誕生する素地があった江戸。こうした濃いめの味付けに負けないように、出し汁も植物性の「グルタミン酸」を出す昆布ではなく、動物系の旨味「イノシン酸」を放出する鰹節を使用するようになります。

ざっと駆け足ですが、江戸が急造都市だったからこそ、甘辛い濃い味の食文化が定着したと考えられます。

前述の「守貞漫稿」の中で著者の喜多川守貞はこう言っています。
(「江戸グルメ誕生~時代考証から見る江戸の味」より現代訳を引用)

「馴れてしまえば旨いと言い、馴れなければ不味いと言って、
自分の馴れで味の良し悪しを論じるのはいけない」

これこそ至言。先入観で他地域の味を「不味い」と決めつけないで、何でも面白がって食べてみる。きっとその味には地方それぞれの歴史、文化が背景に隠れています。その体験の蓄積が、食生活をより楽しく豊かにしていくのでしょう。

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5月 272013
 

浅草仲見世の賑わい
東京定番の観光名所といえば「浅草」。雷門前で写真を撮って、浅草寺にお参りして、天ぷらでも食べて…。あとどこに行けばいいんだっけ?浅草は混雑しているために、つい表通りだけさらっと見て終わりにしてしまう人も多いはずです。でも、それだけではもったいない。

いずれも定番スポットですが、浅草の裏道を含めて効率よく回れるように浅草街歩きスポットの要点をまとめてみました。

■浅草と言えば「雷門」「仲見世」「浅草寺」

ここに行かずして何しに浅草に行ってきたの?と言われてしまうド定番スポットです。浅草寺は「浅草の観音様」としても愛されています。その門前、仲見世通り商店街には雷おこし、舟和の芋ようかんといった定番土産から買い食いが嬉しい「揚げまんじゅう」「人形焼き」、はたまた「神風ハチマキ」のような変なお土産までがたくさん。混沌とした「浅草お土産」をこちらにまとめてありますので参考までに。

関連記事:浅草・仲見世のおかしな東京土産を調査①「神風ハチマキ」から「ゆるキャラキーホルダー」まで

■隈研吾設計「浅草文化観光センター」は展望テラスがいい

雷門の向かい側にある、台東区が運営するいわゆる「観光案内所」。浅草周辺には多数の美術館・博物館他施設があります。1,2階でパンフレットや地図を貰えるので活用してみて下さい。2階にはPC、スマホ利用者向けに電源が設置され、インターネット接続されたパソコン4台も無料で使用できます。エレベーターで8階にのぼる と浅草寺一望の見事な展望テラス(無料)があります。夜までやっているおススメの穴場。

関連記事:無線lan・コンセント・授乳室・浅草寺一望展望台!便利な浅草文化観光センターを利用しよう

■贅沢な移動手段「水上バス」でお台場、浜離宮へ

雷門から東へ少し、隅田川の吾妻橋のたもとには水上バス「東京クルーズ」の船着き場があります。浅草を起点に「お台場」「浜離宮」、ららぽーとのある「豊洲」方面へと移動 出来ます。東京湾岸のビル群を水面から眺めつつ、勝どき橋やレインボーブリッジなど10以上の多彩な橋の下をくぐります。いつもとは違う目線で水の都・東京を満喫出来るのがウリ。「銀河鉄道999」でお馴染み松本零士プロデュースの近未来的観光船が使用されているのも面白いです。
浅草〜浜離宮間運賃は720円(約35分)、浅草からお台場海浜公園直通は1,520円(約50分)。

▼東京都観光汽船「TOKYO CRUISE」ホームページ
http://www.suijobus.co.jp/

■吾妻橋からの奇抜なビル群の眺め

東京スカイツリーの登場により、吾妻橋からの眺めが浅草新名所になっています。
この景観を見た人々は驚きのあまり、思わず写真を撮り始めます。
浅草吾妻橋からの眺め
▲右のビルは以前からいい意味でも悪い意味でも浅草のランドマークとなっていた「う○こビル」、いや「炎のオブジェ」と、泡立つ「ビールジョッキ」型のビル。これらは「アサヒビール吾妻橋本部ビル」です。
そして左側のビル。災害時にロケットとして緊急出動できるという都市伝説もある「墨田区役所」。

計画したわけではないのでしょうが、これら四つのビル群が絶妙の「わけのわからなさ」を演出しています。ある意味ダイナミックに変動し続ける「東京らしい」、象徴的な景観です。

関連記事:【建設中の写真あり】スカイツリー開業から1年・悲喜こもごも 浅草周辺は好調・地元商店街は苦しい

■紳士淑女の古き良きデートの定番「神谷バー」

創業100年の老舗レストランバー。近代浅草の歴史が凝縮された、大人の社交場といった感じ。レトロな建物は浅草が庶民の盛り場の代名詞だった頃の 雰囲気を伝える「登録有形文化財」です。神谷バー名物「電気ブラン」はブランデー、ジン、ワイン、キュラソー、薬草を混合させた大人の味わい。昼間から飲んでほろ酔い気分を味わうのも乙。

関連記事:初デートは浅草の神谷バーで電気ブラン(だったらしい) 東京の東側が賑やかだった頃の残り香

■ディープすぎる空間「浅草地下商店街」

浅草松屋から直通、東京メトロ浅草駅の改札を出てすぐにある、50年の歴史があるディープな昭和レトロ地下街。浅草やきそば「福ちゃん」や本場感満載のタイ、ベトナム屋台料理屋、マッサージ屋、700円理容室など、地上ではお目にかかれない独特の店舗群がそろいます。

関連記事:レトロでディープな浅草地下商店街は戦後東京の文化遺産 観光のついでに面白空間を体験しよう

浅草地下商店街
▲浅草地下商店街。地上の喧噪とはうってかわってディープな空間が広がります。

■昼から飲んでしまえ!「ホッピー通り」

浅草庶民の生活が一番わかるのが「ホッピー通り」。仲見世から伝法院通りへ入りしばらく歩くと五叉路があり、その一番右側の通り、花やしき方面に向けての通り沿いに居酒屋が並びます。多くの居酒屋は外にテーブルを出しており開放的。

この一体、「フリーダムゾーン」であり、平日昼間からサラリーマンなのか自営業者なのかわからない吞ん兵衛たちが集まります。浅草に遊びに来た若い女の子たちと地元のおじさんが打ち解けて楽しそうに飲んでいるのも、この一帯の特徴。浅草の往来を眺めながら飲むビールともつ煮は最高の贅沢。

■世界への入り口!「サクラホステル」で国際交流

都内四店舗のホステルで、浅草は都内最大のホステル。外国人旅行者向けのガイドブックに多数掲載されているため、あらゆる国籍、年齢の人々が泊まる 「超国際的」な宿泊施設です。一階ロビーは交流の場になっています。もちろん日本人でも泊まれますので、浅草観光のついでに思いきって外国人の友達をつくってみるのも楽しいでしょう。ドミトリー(相部屋)は2,940円から、女性専用ドミトリー、個室もあります。

▼サクラホステル浅草ホームページ
http://www.sakura-hostel.co.jp/jp/

なお系列のサクラホステル池袋・幡ヶ谷・神保町には「SAKURA CAFE」が併設され、世界各国の珍しいお酒や食べ物が楽しめます。世界中の旅人たちが立ち寄る場所だからこそ伝わったメニューもあり、食欲と好奇心に火がつきます。

▼サクラカフェについて – 池袋/幡ヶ谷/神保町 面白そうな料理がたくさん。
http://www.sakura-hotel.co.jp/jp/eat-drink

■下町すぎる遊園地「花やしき」

歓楽街のど真ん中に突如現われる遊園地。何と寛永6(1853)年開園という、とんでもない歴史を持ちます。道ゆく女の子二人組が花やしきを「つまらなそうなところが逆に面白そう」と評していました。これは花やしきの特徴をよく言い当てていると思います。

花やしきには「FUJIYAMA」のような大迫力の乗り物もなく、「ディズニーリゾート」のように夢の世界が広がるわけではありません。

名物は洗濯物が干された軒先ギリギリをかすめていく「下町すぎるジェットコースター」。現存する日本最古のコースターだそうです。他に地上60メートルか ら浅草の町を眺められる絶叫マシン「スペースショット」、なぜか異常に怖いと評判の「お化け屋敷」など、浅草の密集地の雑踏の中だからこそ味わえる独特の楽しみがあります。

■ビートたけしも育ったお笑いの町「浅草六区」

伝法院通りから五叉路を超え、「六区通り」「六区ブロードウェー」までの一帯が、テレビでもよく言われる「浅草のお笑い」の聖地。寄席が中心の「浅草演芸ホール」(桂歌丸さんなどもよく出演します)、隣接する色物芸人が中心の「東洋館」(旧フランス座)がその中心。

「六区通り」には浅草に縁のある歴代の芸人、俳優の写真が看板が、浅草公会堂には日本の芸能文化に貢献した人々の手形がズラーッと並ぶ「スターの広場」があります。付近には芸人行きつけの店や「世界でいちばんちいさな劇場」を謳いお笑いライブを開催している「浅草リトルシアター」などがあります。

関連記事:浅草は今でも演芸・お笑いの町【浅草演芸ホール・東洋館・浅草公会堂・芸人行きつけの店】

浅草六区通り・哀川翔
▲六区通り・哀川翔アニキの決めポーズ。浅草ゆかりの人々の写真が並びます。

■おまけ 浅草でレンタサイクルが借りられます

中学生以上の方は身分を証明が出来るものがあれば、レンタサイクルが借りられます。台東区役所の公営なので値段も良心的。付近の合羽橋道具街やスカイツリー、上野方面に遊びにいく際には重宝しそう。

受付場所 隅田公園自転車駐車場管理人室(吾妻橋の北側、水上バス乗り場裏の川沿いの公園地下)
利用料金 1回200円(24時間まで)
受付時間 午前6時から午後8時まで

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